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2025年03月24日

新しい移転先と鳥貴族



 復路も24時間という長い航海でした。覚悟はしていたけど、やっぱり船酔いした大将です。行きほどではなく、夜飯を食べようと挑戦したのですがやっぱり食事は無理。朝食を食べられたのは幸いでした。 
 東京着は定刻の午後3時でした。下船後は元さんと一緒に新しい東京事務所の場所を確認すべく鐘ヶ淵へとやってきました。東武線の駅です。東武線というとよそ者には日光へ行く際に乗るイメージが強いですが都内でも地元民の足として根付いています。鐘ヶ淵は浅草からは4駅目、乗り換えなしで行けるのは意外な発見でした。穴場的な下町かもしれません。



 駅前の路地をはいった住宅街の入り口付近に移転を予定する建物がありました。一階は喫茶店です。コロラドといえば、あのドトールコーヒーが展開する個人オーナー向けのフランチャイズ店。小さいながらも味のあるお店です。



 こちら2階と3階が新しい事務所になる予定の場所。上るにはエレベーターもなく階段のみ。でも、それゆえに家賃が安いことを考えると文句は言えません。スーツケースなど大きな荷物を持っての移動はちょっと覚悟が必要かもしれませんが。



 向かい側の交差点には昔ながらの八百屋さんがありました。きっと家族経営なのだと思います。ご高齢の夫婦が店番をされていました。今時はスーパーやコンビニが主流で、この手のお店は淘汰される一方です。人通りが多い都会だからこそ生き残れているのかもしれません。なんか朝市のような雰囲気に、思わず何か買いたいと思った大将でした。



 移転先視察の後は町屋の事務所に戻り鳥貴族さんに行きました。
 先々週、香港の鳥貴族に行ったときに感じた違和感。あれは何だったのか。その記憶が薄れないうちに本家本元の鳥貴族さんで一度食べておきたい。そう思ったからです。息子はスシローに行きたかったようですが……。ごめんよ利俊。
 まずはこのキュウリの小鉢。キュウリ自体が違うのかもしれませんが、香港で食べたものとはほぼ別ものでした。たかが小鉢といえども、やっぱ日本の鳥貴族のレベルは高いですね。



 そして真打の貴族焼きが来ました。日本はお約束通り2本づつ出てきます。香港はなぜか1本での提供でした。
 日本の鳥貴族、1本当たりのボリューム感も、焼き方も素晴らしい。そしてタレが旨し。これぞ鳥貴族。香港で食べた貴族焼きは何か一歩及ばずといった感じでした。きっとタレなどは地元志向にアジャストしているのかもしれません。それは、それで仕方ないのかもしれませんが……。
 以前に比べ値段は上がったといえども飲み物や食べ物のクオリティーを考えると鳥貴族、やっぱ凄いですね。すべてをまねることはできませんが貴族焼きぐらいは何とかバンコクでも挑戦してみたいと思います。  

Posted by ジョニー at 14:08Comments(0)日本放浪記

2025年03月23日

小笠原・父島への旅⑨ 湾岸通りを散策する(4日目・午前)



 父島滞在の最終日。ロッジで最後の朝食を頂きます。朝はインスタント物やレトルト物が続きましたが森の中で食べるとほんとおいしかった。キャンプのような感じでしょうか。
 午前8時過ぎにはロッジのスタッフの方が船乗り場のある町中まで送ってくれました。荷物は午後2時半に改めて船乗り場まで届けてくれるようです。町中にはコインロッカーなど荷物を預ける移設がないゆえの気づかいのだとか。お陰様で手ぶらで町中をぶらぶらすることができました。



 こちらは大きなクジラの絵が目立つB-しっぷ(商工観光会館)になります。鯉のぼりならぬ鯨のぼりが建物の前で泳いでいました。
 小笠原ホエールウォッチング協会・小笠原村観光協会の窓口があり、島内観光の拠点となっている場所です。



 小笠原郵便局。東京から1000キロ離れていても郵便物を受け取ることもまた出すこともできます。ATMもあり島の貴重なインフラ施設です。



 実は昨夜、このポストに鹿児島の両親あてのハガキを投函しました。小笠原丸の出港に合わせて取り集めしているようです。1枚85円で鹿児島まで届けてくれるなんて有難いですね。ポストの上にはハイビスカスをまとった鯨の人形が飾られており南国情緒を醸し出しています。
 ちなみにここの小笠原郵便局は厳密にいうと東京の江東区新砂にある新東京郵便局の小笠原郵便集配所が正式な名称なのだとか。行政だけでなく郵政も東京都の管轄なんですね。



 湾岸通りにはこのような洋風なお店がたくさんあります。沖縄の那覇に近い感じ。小洒落てますよね。



 こちらは父島滞在2日目に海洋ツアーでお世話になったシービエントさんの事務所。ログハウスです。父島には工務店がなく、また資材も島外から運んでこなければならないので、簡単に建てられるようキットになったログハウスやトレーラーハウスが人気なのだとか。



 日本の歴史で有名なペリー提督、じつは浦賀湾に来航し日本に開国を迫る前に小笠原に寄港していたようです。正直、このことは知らなかった。那覇や下田、そして函館に立ち寄ったことは知っていましたが父島にも立ち寄っていたんですね。
 父島では土地を購入するとともにナサニエル・セーボレーに自治政府の設置を促したのだとか。そのことを記念した記念碑が父島にはあります。



 面白いなとおもったのがマンホール。ポケモンのキャラ入りマンホールです。父島には何か所かこのポケモンシリーズのマンホールがあるのだとか。
 たしか日本中のマンホールを撮影するマニアがいると聞いたことがありますが父島までくるのは大変だろうなぁ。

(午後へと続く)  

Posted by ジョニー at 21:05Comments(0)日本放浪記

2025年03月23日

小笠原・父島への旅⑩ いざ旅立ちの時(4日目・午後)


 父島最終日のお昼はやっぱりこの島の名物をということで……ボニーナさんのポキ丼を頂きました。地元の方(戦跡ガイドの吉井さん)いわく、ポキ丼は小笠原名物というよりはボニーナ名物なのだとか。
 頂いたポキ丼は鮮度抜群の島鰆の刺身がたっぷり入って特製のたれと良くからみおいしかった。島唐辛子で作ったラー油をちょっと入れてもグー!ポキ丼というとハワイのマグロを使った料理というイメージですがボニーナさんのポキ丼は和風な感じで一気に完食してしまいました。 
 1人前1100円です。



 お昼ご飯を頂いた後は、湾岸通りにあるハートロックさんで船の出港までの時間をまったりと過ごしました。大通りから、ちょこっと入っただけなのに流れてくる空気が、時間が違う。あぁ、島時間だぁ。最高。



 1杯1000円と高かったのですが、せっかく小笠原に来たのだからと小笠原コーヒーを頂きました。1日限定10杯です。
 タイのコーヒーとは違い独特のコクがあります。日本のコーヒー栽培発祥の地である小笠原。きっと当時からの原種が引き継がれ栽培されているのではないでしょうか。面白い味だと思います。



 父島へ来るための唯一の公共交通機関である小笠原丸。でかいです。



 午後2時には乗船手続きを済ませて、ロッジからの荷物を受けとり乗船しました。今回は600名近くが乗船するそうです。
 あぁ、船旅どうなんだろう。24時間耐えなきゃ。



 出港すると島民の方が総出でお見送りをしてくれました。掛け声は「いってらしゃい」です。「さよなら」じゃないのがなんとも、嬉しいような切ないような。あぁ、これで父島ともお別れです。
 ちなみに湾をでるところまでツアー船や漁船で追いかけて来てくれる方もいました。最後は海へダイビングしてくれる方も。ワイルドだなぁ。



 乗船後はできるだけデッキにでて船酔いしないように頑張っていました。でも、そんな努力もむなしく夜になると船酔いに。夜飯は半分も食べられませんでした。



 翌朝はなんとか体調も戻り、やっと小笠原丸の船飯をあじわうことができました。
 往復6日間。長いようで、あっという間だった父島の旅。一生に一度はこんな旅もしてみるもんですね。(完)  

Posted by ジョニー at 13:02Comments(0)日本放浪記

2025年03月22日

小笠原・父島への旅⑤ 海軍小港平射砲台(小港岬)と墜落した爆撃機(3日目・その1)



 父島滞在3日目。やっとこの時がやってきました。今回父島へ親子で行こうと思った一番の目的が戦跡を訪ねて先人たちを慰霊することでした。
 ちょっと重たい話になりますが、太平洋戦争中、小笠原諸島は本土防衛の最前線としてアメリカの猛攻撃に遭った場所です。「硫黄島からの手紙」で有名になった硫黄島は小笠原諸島の中で唯一陸上戦となりました。
 父島、母島で地上戦は行われなかったものの、アメリカの飛行機から猛攻撃を受け、今でもその弾痕や防御、攻撃のために造られた日本軍の戦跡を見ることができるのです。
 今回、そんな戦跡を訪ねるためにマルベリーというツアー会社が主催する戦跡ツアーに申し込みさせて頂きました。参加費用は一人10000円です。ガイド兼ドライバーの吉井さんには朝9時前、ロッジ近くの都道でピックアップしてもらいました。



 まず最初に向かったのが海軍小港平射砲台跡(小港岬)です。そこに向かう軍道からはコペペ海岸が見えます。ちなみにコペペ海岸の名前の由来は諸説あるようですが、明治初期にこの海岸で生活していたギルバート諸島出身の先住民「コペペ」にちなんで名付けられたのだとか。



 道路から軍道を300mほど進むと壕が見えてきました。道路から近い北側から順に、機銃壕、1番砲台、観測所、2番砲台となっています。それぞれの壕は独立していて中でのつながりはありません。ここ観測所だけ入り口が2ヵ所となっていました。



 壕の中はこんな感じです。画像右手に見えるのは砲側弾薬庫だった場所。ここに爆弾を保管していたようです。



 こちらは2番砲台の跡で十四糎砲の残骸が残っていました。こちらから船で攻めてくる米軍を狙ったようです。



 次に訪れたのは珈琲山(小曲)に残る海軍四十五口径十年式十二高角砲です。これは対空防御の兵器になります。戦争末期、小笠原では火器を壕の中に移設して上陸戦に備え平射タイプにしたのがほとんどで対空防御の施設は少ないのだとか。
 ここは父島のなかでも対空防御施設として露天に原型をとどめ残る唯一の戦跡だそうです。



 珈琲山への戦跡へは軍道ではなく私有地を通っていく感じになります。また高角砲の戦跡がある場所も実は私有地なのだとか。地元の方のご厚意で訪ねることができているようです。感謝。



 こちらは戦時中、撃墜され墜落したと思われる米軍機の残骸です。戦跡といえるのか微妙なところですが、こうして今でも残っているのは凄いなと思います。
  この飛行機の残骸は、境浦の旧道沿いにあり車道からも5分ほどです。海に落ちる崖のぎりぎりすぐ上にありました。



 残骸はごく近い所に3ヵ所に分かれています。以下、墜落機の情報メモです。

 急降下爆撃機カーチス・ライト社SB2Cヘルダイバー。米海軍で運用された艦上爆撃機。SB2CはScout Bomber(偵察爆撃機)、 2(2代目)、 C(カーチス社の社番)です。愛称のヘルダイバー(Helldiver)は、カイツブリ(鳥類)のことだそうです。ヘルダイバーは乗員2名、全長11.28M・全幅15.14M・全高5.15Mで主翼は折りたたみ式です。SB2C (航空機) – Wikipedia


(その2へと続く)  

Posted by ジョニー at 22:29Comments(0)日本放浪記

2025年03月22日

小笠原・父島への旅⑥ 慰霊碑と大村第二砲台跡など(3日目・その2)



 奥村運動場の脇にある「戦没者やすらぎの郷」。その中に小笠原諸島戦没者追悼之碑「鎮魂」・平和の鐘があります。平成6年(1994)11月吉日建立されたものです。



 鎮魂と書かれた石碑の裏手には、このような碑文が刻まれていました。

 あの太平洋戦争が終わって五十年になります
 今日も亜熱帯の小笠原は 
 飽くまでも蒼く澄んだ海と 
 豊かで深い緑の色を変えることのない山と 
 そして広く近く光り輝く空の星などに恵まれて 
 私たちを温かく優しく 
 強く抱えこんで変わることがありません
 その愛する故郷小笠原と 
 小笠原の同胞の生命と 
 祖先の永遠を願いながら 
 国土防衛の第一線で貴い生命を捧げられた多くの方々に思いを致すとき 
 悲しみは深まるばかりです
 それだけに 
 私たちに与えられている今日の「生」は
 尊い犠牲の上にあることを 
 片時も忘れてはならないのです
 貴い生命を捧げられた方々のご冥福を心からお祈りするととも 
 生きる者の責任と知恵によって 
 小笠原を平和で豊かな島として創り続けることをお誓いして 
 この碑を建立します

 平山秀親



 戦没者の方々のご冥福を祈り親子で線香を捧げ合掌。



 石碑の裏側には戦没された方々の詳細が刻まれていました。この慰霊碑は昭和二十年(一九四五年)八月の太平洋戦争終結までに小笠原諸島及び周辺の海域において戦没された二万四千余柱の御霊を祭るものになります。



 慰霊碑の後ろ側には平和の鐘が建てられていました。



 慰霊碑参拝後は大村第二砲台跡地区へと移動しました。この地区だけでありませんが、戦跡の付近では当時兵隊さんが飲んだビール瓶などがいまだに放置されたままになっています。大日本麦酒と書かれた瓶がたくさん目につきました。



 この茂みの奥には当時の看守営舎が壁だけになって残っています。



 看守営舎跡とは違い建物自体がしっかり残っているのが爆薬庫の跡です。



 爆薬である火薬などを扱う場所なので特別に堅牢に造られたのでしょう。爆弾を保管するのではなく爆弾を作るために作業した場所だったようです。



 こちらは父島に到着した日の午後の観光でも見学した道沿いにある砲台長位置跡です。ここから砲台長が各砲台へ向かって発射などの指揮を執ったのだとか。今は見晴らしがよいという場所柄、携帯電話などの基地局が建てられていました。



 大根山地区にはアメリカからの返還後に作られた大根山公園墓地があります。その公園の一角には当時のトーチカの跡が残されていました。
 このトーチカは米軍の上陸に備えて配備されたものです。戦時中は、樹木を植えてカムフラージュされていたものと思われます。



 大根山公園からは二見港のある父島の中心部を展望することができます。東京から乗ってきた小笠原丸も見えます。素晴らしい眺望ですね。



 お昼は大根山公園でおにぎりのお弁当を参会者全員で頂きました。ツアー料金にこのおにぎりも含まれています。ガイドの吉井さんの奥様が用意してくれたものだとか。豪華じゃないけど、なんかほのぼのとするお昼ご飯でした。



 大根山公園は墓地になっており父島にゆかりのある方々が祀られていました。中には原住民だった方の墓もあり、その子孫の方々が今でもこの島には住んでおられるようです。感覚としては北海道のアイヌ民族との方々との共存に近いのかもしれません。

(その3に続く)  

Posted by ジョニー at 18:53Comments(0)日本放浪記

2025年03月22日

小笠原・父島への旅⑦ 照空灯と夜明山(3日目・その3)



 午後からはこちら長崎展望台を通り陸軍父島要塞防空隊の乳頭山照空分隊陣地跡へと向かいました。九州の人間なので長崎という地名を聞くとなんか意味もなく懐かしさがこみあげてきます。
 この兄島を望む眺望、やっぱり素晴らしいですね。



 長崎展望台の駐車場の近くには石垣の発電車庫が残っています。そこから照空灯へケーブルで電気が供給されていたようです。
 照空灯の残骸を格納庫に入った状態で見学することができました。かなり崩壊しております。照空灯だった原型をかろうじて維持している感じでした。これを使い夜間攻めてくる敵を見つけていたことだと思います。



 続いて向かったのが夜明山地区にある陸軍高射砲隊洞窟陣地跡です。こちらには八八式七糎野戦高射砲が良い感じで形を留めながら残されていました。洞窟の中なので照明器具がないとちょっと暗かったです。



 水路のようにみえる部分は当時レールが敷かれて物資や武器などを運んだ通路跡だそうです。面影がなんとなく残っていました。



 こちらは対空防御として設けられた高射砲の防空砲台跡です。石垣で築かれていました。兵隊さんがこの中に入り上空からの攻撃に備えた場所になります。



 こちらは陸軍ではなく海軍が陣営を張った場所跡です。夜明山の中にあります。十年式十二糎高角砲が残されています。



 この十年式十二糎高角砲は、もともと海軍第五砲台は旭山近くにあり戦争末期に夜明山に移設されたのだとか。ガイドの吉井さんから海軍と陸軍では装備の呼び方が違うことを教わりました。高角砲は海軍の大砲の呼び方で陸軍では高射砲と呼ぶそうです。



 夜明山の戦跡からの展望です。敵の攻撃をいち早く見つけることができるよう眺望の良い場所ゆえに……。
 硫黄島と違い地上戦まで行かなかった父島。だからこそ80年たった今でも、こうして戦跡が残っているわけです。戦跡ツアー参加して本当に良かった。今年は昭和100年。忘れちゃいけない日本の歴史がここに眠っています。
  

Posted by ジョニー at 16:58Comments(0)日本放浪記

2025年03月22日

小笠原・父島への旅⑧ ご当地料理を味わう(3日目・その4)

 戦跡ツアーが終わりロッジに戻ったのは午後4時頃でした。今日こそは町中で島の料理を頂こうとお店に予約を入れます。
 何か所か電話して3件目にやっと午後8時からという条件付きで予約を入れることができました。夜はバスもタクシーもないので食後ロッジへの送迎サービスがあるかないかの確認が重要になります。なので、どの店でも良いというわけじゃないのも悩みどころ。
 泊まった場所がリゾート地だったからなのですが、父島、一杯飲みに行くのも一苦労なんです。一応ここも東京都内なんですがね……。



 ちょっと気が早いようですが午後5時半には村営バスで町中へと向かいました。運賃は前払い均一料金で大人200円、子供半額です。ロッジのある付近にはバス停がないのですが手をあげるとバスが止まり乗車することができました。田舎というか島だからこそですね。



 こちらは父島に2件しかないスーパーのうちの一件です。もう一件は生協さんで午後6時には閉店していました。島なので品数は少ないし価格も高めです。離島ならではですね。卵や野菜が貴重品。インスタント麺や缶詰、冷凍食品は物にもよりますが安いものもありました。
 とりあえず明日の朝食用の食材とロッジにもどってから飲み直しすべく簡単なおつまみを購入します。クレジットカードは使えず現金払いのみです。
 


 予約を入れたのは「まんた」さんというお店でした。チャラさんとか何件かある父島では人気のお店のうちの一件です。
 午後8時の予約だったのですがお客様が長居されたからか入れたのは午後8時過ぎでした。それでも入店出来て良かったです。



 まずは父島の名物である「うみがめの刺身」を頂きます。1人前1100円とちょいお高めでした。ウミガメとはいえカメさんの刺身を頂くのは今回がはじめてでした。島では伝統的に食べられてきたようで年間あたり135匹迄と捕食できる数も決められているのだとか。
 お味はどちらかというと鶏肉のたたきに近い感じでした。おいしいとか、まずいとか、ちょっと判断できないかも。個人的にはあまり好きな食感ではなかったです。生のカメさんというイメージがどうしてもねぇ~。



 島野菜であるセロリと鶏肉の炒め物。これも島の名物料理だそうです。これは旨かった。ビールがめちゃ進みます。炒め物の料理に生のトマトが添えられていたのがなんとも島らしいと思いました。



 ソデイカの刺身も父島名物ということで注文。沖縄でも良く出てくるあのどでかいイカの刺身です。すごく旨いとは思わないけど、息子は気にいったようです。大将はタコの方が好きかな。

 かれこれ父島の料理を味わいほろ酔いになったところでお開き。お店の閉店時間である午後10時に併せてロッジまで送ってくれたのはお店の板前さんでした。この送迎サービスがないと帰れません。ほんと有難かったです。

 ロッジにもどり軽く飲み直し。明日はいよいよ離島です。東京へ戻ります。また船に24時間揺られるのかと思うとちょっと憂鬱ですが……。  

Posted by ジョニー at 13:01Comments(0)日本放浪記

2025年03月21日

小笠原・父島への旅③ クジラにシュノーケリング(2日目・前半)



 父島2日目です。天気は快晴。今日はシービエントというツアー会社が主催するマリンツアーへ参加します。集合場所である青灯台まではロッジのスタッフさんが送ってくれました。有難いです。
 集合時間は朝の8時45分。前日予約したお弁当を大通りにある居酒屋さんで受け取りツアーに参加する方々と合流しました。青灯台からは昨日東京から乗ってきた小笠原丸が停泊しているのが良く見えます。いやぁ、でけぇ船だ。



 ツアーは定刻通りにスタート。参加者は12名と満員御礼状態。望月さんことモッチーさんとマユミさんの2人がガイドしてくれます。
 まず最初に向かったのは沖合でイルカとクジラを追いかけます。いわゆるホエールウォッチングというやつです。幸いなことにツアー開始直後から多くのクジラを目撃できたのですが、なんとまたもや大将は船酔いに。クジラが跳ねるも写真を撮る元気もなくひたすら耐えていました。
 あと海上に出ると風が凄く寒いのなんの。防寒着を持ってくるのを忘れて大後悔しました。陸の上にいる時はポカポカなのですが海上は全くの別世界でした。



 クジラをしこたま目撃した後はスノーケリングです。ウエットスーツを着て海へと潜ります。あまりの海水の冷たさに10分も耐えられず船へと戻ってきた大将とモトさんでした。海中は凄くきれいで魚も沢山なんですが耐えられない。利俊は30分ぐらい頑張っていました。



 船の上からも沢山の魚が泳いでいるのが見えます。人間を全く怖がらない魚たち。網とかあったら簡単に捕れるのではと不謹慎なことを考えてしまいます。



 お昼は持参した弁当を皆さんと一緒に頂きました。こうして海上で食べる弁当は旨いですね。まさに小さい頃の遠足気分。食後にはツアー会社から温かいココアが振舞われたのですが、これが最高に旨かった。心まで温まる一杯でした。

(後半へ続く)  

Posted by ジョニー at 18:25Comments(0)日本放浪記

2025年03月21日

小笠原・父島への旅④ 南島探索(2日目・後半)



 午後からは南島観光です。この島には認定ガイド同行でないと上陸できませんし、決められた通路や場所しか歩けません。きちんと環境保護のために規制が設けられています。大事なことだと思います。
 南島への接岸は結構、難儀だと思います。桟橋がないのです。大将も小型船舶操縦士の資格を持ってますが、ここまでの操縦はできないだろうな。



 入り江にはサメの一種「ネムリフカ」がたくさんいました。海水の透明度が半端ないですね。きれい。天然の水族館のようです。小笠原諸島全体は2011年に世界自然遺産に登録されています。さらにこの南島は島全体が天然記念物なのだとか。



 島の尾根に上り上陸した湾を望みます。自然が織りなす造形美。素晴らしい。島の端と端の間がしけていたら島へ入ることができないそうです。本日は問題なく上陸できました。ラッキーです。



 これは小笠原諸島特有の植物なのだとか。固有種の植物らしいです。名前が何だったかは忘れました。一時は野生化した山羊のによる食害で絶滅しかけのだとか。自然保護と簡単にいうけど現実はきっと大変なんだろうなぁ。



 いやぁ、快晴。暑いです。日差しが痛い。日焼け間違いなしですね。それにしても、空が、海がきれい。日本にもこんな場所があったとは。



 島の真ん中にある小さな入り江「扇池」 。エメラルドグリーンに輝く透明度の高い海と一面に広がる白い砂浜は、おもわず息を呑む美しさ。島の高台から全体を一望しました。この景色、小笠原諸島のガイドブックなどによく掲載されている景色です。



 せっかくなので記念撮影を。この南島に上陸できる人数は1日100人まで 。そして南島での滞在時間は最大2時間 までと決められています。貴重な時間を十分に楽しみます。



 扇池という名前ですが池ではなく小さな湾です。ここの砂浜はウミガメの産卵地として有名なのですが、もう一つ、「ヒロベソカタマイマイ」の半化石がある貴重な場所 でもあるのです。
 ヒロベソカタマイマイはカタツムリの一種で、1000年から2000年前に絶滅したとされていますがその理由は未だ謎につつまれているとか。南島の海岸線には、その貴重な半化石が奇跡的に残っています。
 正直、最初は貝殻かとおもいましたがカタツムリだったとは……。



 もうここは完全にプライベートビーチというか‥プライベートアイランド?!映画みたいな世界でした。
 父島、そして南島、日本人ならというか海が好きな方なら一生に一回は訪れてほしい観光スポットです。ハワイやグアム行くより断然お薦めです。

【余談】
 ツアーが終わったのは午後3時半でした。その後は泊まっているロッジまでマユミさんに送って頂きました。ほんと皆さん親切です。でも、残念だったのは楽しみにしていた島での食事。
 夕方、バスで街中まで行ったのですが、どのお店も満席で空き無し。どうやら予約は絶対に必要なようです。小さな島ですからね。この日のは乗ってきたバスで再びロッジまでもどり自炊してしのぎました。非常食持参で良かった。
 まさか父島で夕食難民になるとは。これも今となれば良い思い出の一つですが……。  

Posted by ジョニー at 15:25Comments(0)日本放浪記

2025年03月20日

小笠原・父島への旅② ここも東京都? 温かい父島(1日目)



 20日の午前11時半。島へ着きました。やってきました小笠原の父島です。東京を出てから24時間。移動で丸々一日がつぶれました。往復だと2日間です。しかも、この船で移動する以外、父島への公共の交通機関はありません。つまり飛行場がないのです。
 さらに、この航路だって月に数回しか就航していないという難関度の高い場所。それが父島なのです。よくぞ来たわ。
 それにしても父島、暖かいなぁ。南国に来た感じです。船酔いで弱った体でしたが一気に体力が回復してきました。



 桟橋の近くにはパトカーが停まっていました。なんと品川ナンバーです。しかも警視庁のパトカーです。そうかここは本土から1000キロ離れていても東京都内なんですね。ここに住む人たちは東京都民。なんか羨ましいなぁ。
 桟橋では予約していたホテルの従業員さんが出迎えに来てくれていました。挨拶が終わると荷物だけをロッジまで運んでくれるとのことでした。午後からはツアーを予約しているので大変ありがたいです。



 お昼ご飯は弁当を買って広場で頂きました。離島ゆえに物価は高いです。弁当も1人前が1100円でした。ジュース類は50円ぐらい本土より高い感じ。輸送費が掛かっているからでしょう。
 そして時間潰しに覗いたスーパーでは島野菜としてパパイヤが売られていました。タイではおなじみの野菜ですが形がタイのものとは違います。品種が違うのかな。味はどうなんだろう。ソンタム作ってみたいなぁ。価格はキロ400円でした。



 午後2時からは現地の観光会社が主催するツアーに参加しました。約2時間半で島内を一周するツアーです。費用は1人4000円。到着日の午後に参加する方が多いようです。
 まずは二見港を見渡す三日月展望台へ上った後、シュノーケリングができるという宮之浜海岸へと移動しました。ここの海岸、すごくきれいです。タイのパタヤやプーケットより断然綺麗。
 雰囲気としてはグアムのような感じもしますが海の透明度はグアムやハワイよりも上だと思います。
 日本国内にもこんな素晴らしい海岸があるんですね。行くのは大変だけど海が好きなら父島超お薦めです。



 小笠原諸島に生息する植物の代表格がタコノキです。根元がタコの足のように何本にも分かれているのが特徴です。至る所で目にすることができる木です。この木には大きなパイナップルのような実がなっていることが多いですが食用には向かないようです。



 父島にある数ある展望台の中でもここ旭平展望台は絶景ポイントでした。左下に見えるのは、ここ父島の断崖絶壁。そして向こうに見えるのは兄島です。兄島には人は住んでおらず、手つかずの自然が残っているのがここから見てもよくわかります。兄島と父島の間の海は「兄島瀬戸」と呼ばれ、常に早い潮が流れている。そのためか、この周辺の海はとてもきれいです。碧という漢字が似合いますね。
 数年前に、あの向こうの兄島に空港を造り、この瀬戸に大きな橋を架ける計画があったそうです。空港ができ飛行機で移動できるようになれば便利ですが、この風景を見ていると、さすがにあの島に空港は造ってほしくないと思いました。
 秘境感があってこその父島ですからね。地元の方の話では、今のところ空港建設の計画は中止になっているようです。



 島内観光の最後に立ち寄ったのが国立天文台の観測所でした。その前にロケット観測所なども車窓から見学しましたが離島ゆえに天文観測や気象観測所などの国家機関がたくさんあるのも、この父島の特徴なんですね。自衛隊の基地だけじゃないです。ゆえに本土から業務で赴任してくる人もかなりいるのだとか。なるほど。



 父島で3泊お世話になるロッジの入り口がこちら。カナカビレッジさんです。3泊で10万円と安くはなかったけど設備がしっかりしていて快適に過ごせました。何よりスタッフさんが色々と世話をしてくれるのが有難かったです。
 夜はロッジでささやかながら到着を祝い宴を開きました。星空綺麗。揺れないベットで寝れたことが何よりも幸せでした。  

Posted by ジョニー at 23:25Comments(0)日本放浪記
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